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おばあちゃんの思い出…有りすぎて何をかけばいいのかしら(。-∀-。)
うちのばあちゃんは 広島出身で、普段は関西弁を話してましたが お酒が入ったり、怒った時には広島弁でした。
同居をしていた為、初孫のアタシをじいちゃんと2人で親以上に可愛がってくれました。
じいちゃんとばあちゃんの旅行には当たり前のようにアタシも一緒に。
寝る時もばあちゃんとじいちゃんの間でした。
アタシが将来を決めた時も 親は反対したけども、ばあちゃんだけは応援してくれました。
曾孫が生まれた時も 入院していたのに外出許可をもらい、病院まで会いにきてくれました。
ばあちゃんが亡くなって2~3年してからばあちゃんが通ってたデイサービスで働く事になりました。
リハビリの先生とも仲良くなり、ばあちゃんの孫と知ると アタシの知らないばあちゃんの話を毎日してくれました。
曾孫な誕生を喜んで 会う人会う人に写真を見せてたこと。
アタシには全然似てないのに どの赤ちゃんよりも可愛いとババ馬鹿だったこと(笑)
ばあちゃんの葬式後、毎日使っていたカバンにはボロボロに近い、指紋だらけの曾孫を抱いた写真が出てきて、「あんまり大事にしてくれてなかったみたい…」と凹んだけど。
アタシの思い違いでした。
次男、三男も抱いて欲しかったな…
欲を言えば子供たちの入学式も卒業式も見てほしかった。
ばあちゃんの形見はこれといって貰いませんでしたが、母が「ばあちゃんはアンタを1番可愛がっていたからアンタが持っといたげて」といつもつけてた指輪をくれました。
それはアタシの中でお守りになり、三男が生死をさまよった時には病院の枕の下に入れておきました。
今 三男は後遺症が残ったけれど 元気に生活しています。
ばあちゃんが会うことの出来なかった曾孫を守ってくれた…と思います。
ずっとずっとばあちゃんには感謝ですね。
さすがばあちゃん。
生前 面倒見が良かったから曾孫の面倒もみてくれたのね。
ありがとう❤︎*。